鷲宮にある久喜市立郷土資料館で、「第15回特別展 昭和100年・放送100周年記念 昭和ラジオテレビ物語 ~「鉄塔」のあるまち久喜~」が開催されています。
「鉄塔」とは、NHK菖蒲久喜ラジオ放送所にある、高さ200mを超える2本のアンテナのことを指します。
菖蒲や近隣の方には遠出した帰り道、NHKのアンテナが見えると地元に帰ったことを実感するのはあるあるではないでしょうか。
第1放送送信アンテナの高さ245mは埼玉県で一番高い建築物です!
今回は特別展の見学と、関連講座を受講しました!
もくじ
「第15回特別展 昭和100年・放送100周年記念 昭和ラジオテレビ物語 ~「鉄塔」のあるまち久喜~」の基本情報
| 会場 | 久喜市鷲宮5-33-1(久喜市立郷土資料館) |
| 開催期間 | 2025年10月11日(土)~2026年2月1日(日)(特別講座:2025年11月22日(土)14時) |
| 休館日 | 月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、月末の金曜日、年末年始 |
| 時間 | 10:00~18:00 |
| アクセス | 久喜インターから約5km、加須インターから約5.5km |
| 駐車場 | あり、第二駐車場もあり |
| 入場料 | 無料 |
| 各種リンク | 郷土資料館(久喜市):https://www.city.kuki.lg.jp/shisei/shisetsu/library/1006655.html 第15回特別展 昭和100年・放送100年記念 昭和ラジオテレビ物語~「鉄塔」のあるまち久喜~(久喜市):https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/kyodo/1002303/1011258.html |
第15回特別展 関連講座

最初に関連講座に参加しました。
講師はNHK技術局の方です。
講座の内容に加え、展示の内容や、後で調べた内容を含めて説明します!
放送の原点は関東大震災
日本のラジオ放送が始まったのは1925年(大正14年)3月22日のことでした 。
この放送開始の背景には、ある歴史的な出来事が深く関わっています。
1923年(大正12年)に発生した関東大震災です。
震災時、デマの拡散や情報不足が混乱を招いた経験から、正確な情報を迅速に伝える「放送」の必要性が強く認識されるようになりました 。
そして東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部の前身)の図書館を仮放送所としてスタートしました 。
出力は220W、最初の番組は午前9時に始まった「天気予報」だったそうです。
その後、同年7月12日には愛宕山放送所(現在のNHK放送博物館)から、出力1kWの本放送が開始されました 。
参考サイト:VISIT MINATO CITY 放送記念碑
川口・鳩ヶ谷から菖蒲町へ
ラジオの普及とともに、より遠くへ電波を届けるため、川口に移転を計画します。
1925年(大正14年)に5万台だった受信機は、1930年(昭和5年)には50万台にまで爆発的に増加しました 。
1928年(昭和3年)、川口に新郷放送所(現在の文化放送放送所の場所、10kW)が設置され、また、第二放送も1937年(昭和12年)に鳩ヶ谷に移転します。
その後、1938年(昭和13年)に川口放送所(出力150kW)に移転、鉄塔は当時世界一の高さで、313mを誇りました。
1950年代から1960年代にかけて海外放送局の増加にともなう混信が課題になり、大電力化が進められます 。
しかし、川口や鳩ヶ谷周辺の住宅地化が進んだことで、さらなる拡張や用地確保が困難になります 。
そこで白羽の矢が立ったのが、菖蒲町でした 。
菖蒲町が選ばれた4つの条件
1978年(昭和53年)の事業計画書には、菖蒲町は4つの条件をすべて満たしていることが挙げられています。
①首都圏を広くカバー: 関東地方の中心部に近く、都心から40〜50km圏内であること。
②国際協定の範囲内: 登録地点(東経 139° 25'、北緯36° 05′)から半径20km以内であること。
③安全と電波の強さ: 電波が強すぎて他の受信を妨げない場所(ブランケットエリア)の世帯数が少なく、航空の安全やその他生命財産の安全に支障がないこと。
④効率的な地形と地質: 広い平坦地であり、電気を伝えやすい(誘電率が高い)湿った地質であること。
1982年、菖蒲久喜放送所の誕生
1978年(昭和53年)に移転先が菖蒲町に決定し、住民への説明や用地取得を経て、1982年(昭和57年)に運用が開始されました。
土地の広さは314,000㎡、東京ドーム約6.7個分です。
北は福島県から南は愛知県まで、全国約2,300万世帯(日本全体の約4割)に電波を届けています。
ラジオ番組は全国の放送局から渋谷のNHK放送センターに集められ 、NHK菖蒲久喜放送所から送信されます 。
| 放送名 | アンテナ長 | 出力 |
| NHKラジオ第一放送 | 245m | 300kW |
| NHKラジオ第二放送 | 215m | 500kW |
展示の様子
続いて展示を見学しました。
様子を少し紹介します。
入口の現在の写真やアンケート


展示の入口の様子です。
入口の脇には、NHK菖蒲久喜ラジオ放送所の写真パネルが置かれています。
2本のAMラジオ用のアンテナ以外にも、地上波テレビ中継用や、衛星放送用のアンテナの写真も並んでいます。

入口の右手にはアンケートがあり、回答すると「電波新聞」のバックナンバーがもらえます!
1/1000スケールの「手作りジオラマ」

NHK菖蒲久喜ラジオ放送所の全貌を再現した1/1000スケールのジオラマ模型です。
この模型、2002年(平成14年)ごろに、当時の菖蒲町の職員の有志(主に2名の職員)が、約1か月かけて制作したものだそうです。
第1放送(高さ245m)と第2放送(215m)の2本の鉄塔はもちろん、管理棟やテニスコート、さらには野球場まで精密に作られています。
立ち入り禁止で見ることができない敷地内の構造を、じっくり観察できるのは、ジオラマ展示ならではです。
このジオラマは普段は菖蒲行政センターにあり、私も選挙の投票に訪れた際に見たことがあります。
NHK菖蒲久喜ラジオ放送所の土地の歴史は江戸時代から!

NHK菖蒲久喜ラジオ放送所の場所の歴史を辿ると、江戸時代まで遡ります。
検地帳の写しなどの古文書から、この土地がたどった歴史を見ることができます。
1728年(享保13年)、8代将軍・徳川吉宗の命を受けた伊澤弥惣兵衛が、かつて沼地だった「河原井沼」を干拓し、水田へと生まれ変わらせました。
しかし、もともと沼地で水はけがよくない場所のため、水害被害を受けやすく、収穫量が少なかったこともあり、工業団地や放送施設へと姿を変えていきました。

中央の写真パネルが1970年(昭和45年)、右のパネルが1986年(昭和61年)のものです。
広大な沼地が水田になり、やがて工業団地や放送施設へと姿を変えていく様子がよく分かります。
最後に
昭和ラジオテレビ物語の講座や展示で、普段何気なく見ていたAMラジオの鉄塔について、歴史や意義を学ぶことができました。
今回紹介した展示以外にも、ラジオとテレビの貴重な資料がたくさん展示されています。
2026年2月1日(日)まで開催中ですので、ぜひ足を運んで、菖蒲町と放送の絆を感じてみてください!
記事リンク:那須の御養卵を使用したオムバーグとふわとろパンケーキ!HOUBAL!
※展示会場の久喜市立郷土資料館のすぐ近くにあります。
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